いがぐり史料館

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戊辰開戦の責任者

戊辰開戦の責任者

 薩藩は既に長藩と提携して、あくまで討幕の企図を実行せんと欲し、十二月七日大久保一蔵、西郷吉之助等が岩倉具視朝臣の諮詢に答うるに、王政復古の基礎を建つるには、ひとたび干戈を動かし天下の耳目を一新し死中活を求むるにありと極言し、爾来事毎に徳川旗本および我が藩、桑名藩を激昂せしめたり、これをもって結局平和の改革を破り、戊辰の戦争を惹き起こせしめものは、実に具視朝臣および西郷、大久保の三者なりと言わざるべからず。
 当時具視朝臣および薩藩の所為に飽き足らず、邦家の前途を憂いて建言せしもの、ひとり豊信朝臣に止まらず、加州藩糟屋十兵衛、仙台藩但木土佐、阿州藩蜂須賀信濃、筑前藩久能四郎兵衛、肥後藩溝口孤雲、肥前藩酒井平兵衛、備前藩澤井権次郎、因州藩眞野代次郎、津藩藤堂仁右衛門、米沢藩眞野寒助、秋田藩長瀬兵部、久留米藩山村源太夫、南部藩西村久次郎、柳川藩十時摂津、津軽藩西館平一郎、二本松藩田辺市左衛門、対州藩扇源左衛門、新発田藩窪田平兵衛等この日二条城に相会し、肥後溝口孤雲その牛耳を執り左の建白書を上れり。

先般大非常の御変革被仰出候儀は既往の事柄一切捨させられ萬事公平正大衆議の会する所を以て一途の御政道相立速に神州治安の御鴻基を開かせられ候叡慮の旨奉拝承実に雀躍に堪へ申さず上下目を刮て御沙汰を相伺居候内去九日に至り俄に召の列藩兵士戒服の儘参朝就ては何と無く闕下騒々敷何方も驚愕罷在候処先帝以来御当職の二条殿下を始め官家数十人除職の上御門出入迄も差止められ且将軍家も除職解官のみならず頓て削封も可被仰出趣相聞右は必定御譴責の御譯も可有御座や其の儀は特と相辨申さず候へども将軍家祖宗以来世襲の大権差上られ只管御自責を以て聖業を被奉輔度との御趣意は末々迄も感賞仕り候折柄右様の御処置被為在候ては更始御一新の御手始他日如何様の御都合に成行申すべや実に杞憂の至に奉存候依之仰願くは差寄御所内外戎服等の儀至急に止められ一刻も早く人心鎮定の御沙汰に相成隨て摂政殿下を始め御取扱の儀も公平正大衆議の帰する所を以て御施工有之徃々彌以て御改革の御趣意屹と相貫候様被為在度幾重にも奉懇願候昨今形勢所謂百尺竿頭一歩を進むるの時節と奉存候間重畳恐入奉存候へども寸衷奉言上候誠恐誠惶頓首百拝
  十二月十二日
  連書


 具視朝臣はその建言を容れ、十三日令して宮中の戒厳を解き、九門を除くの外ことごとく諸藩の警衛を免じ、尋いて溝口孤雲を召し、その連書建白を賞し、自今忌憚なく意見を上陳すべしと命ぜり、しかるにこの日に至り慶喜公ついに我が公、定敬朝臣に就封の暇を賜い、贐するに鞍馬をもってす。

在所への御暇被下御馬被下之旨御意に候御序無之に付御目不被仰付候

 この唐突の命降りるや一藩愕然たり、我が公六年間の勤労に対し、慰労の片詞もなく、六年間その部下たりし我が公に謁見をさへ許されざりしは、我が藩士をして深く憤慨せしめたり、これによりて慶喜公は大阪に下るの決心をなし、我が藩相田中土佐を召していわく、彼ら兵威をもって幼帝を擁し、昨今の所為をなすに至る、ついには君側を清掃せざるを得ず、しかりといえども干戈を闕下に動かさば宸襟を悩まし奉るのみならず、外威の覬覦を来し、予の政権を奉還し国威を発揚せんとするの素願も水泡に属せんことを恐る、ゆえにしばらく大阪に下り人心を鎮定せんとす、宰相もまたよろしく従うべしと、すなわち書を朝廷に留め旗本を戒飾するの意を奏し、伺い済みを待たず下坂するを謝す。
 徳川慶勝卿、松平慶永の二侯もまた慶喜公同様の義を上奏す。
 この時にあたり二条城中においては、慶喜公の下坂に決することを聞き大に紛擾し鼎の沸くがごとし、我が藩大砲奉行林権助、別選組隊長佐川官兵衛等なかば玄闕に列なりなかば城門を塞ぎて、慶喜公の出づるを力争諌止せんとす、田中土佐いわく、何ぞ囂々たる宜しく退きて君命を待つべしと、権助、官兵衛いわく、あるいわ敵に計略あらんも知るべからず、決して夜間に発すべからず、仮令前将軍発するも我が公は出づべからずと、声色ともに烈し、我が公これを聞き急に権助、官兵衛を召す、会々大河内正質朝臣来り慶喜公の命を伝えて我が公を召す、権助、官兵衛は正質朝臣に従いて慶喜公の前に至る、定敬朝臣、勝静朝臣等皆座にあり、慶喜公自ら権助、官兵衛を招きていわく、聞く汝ら隊士の長なりと壮武愛すべし、汝ら予が下坂を止むるは何ゆえぞ、予あえて逃げるゝにあらず、権助、官兵衛いわく、まさに夜に入らんとす倉卒下坂せらるゝは危うし、願わくは斥候を設け兵威を厳にし明朝を待ちて発せられんことを、慶喜公いわく、大阪に下るの機失うべからず、斥候すでに設け兵威まさに張る汝ら恐るゝことなかれ権助、官兵衛再びいわく、大阪に下りて後ただちに東帰あらばいよいよ不可なり、慶喜公いわく、予これを知れり必ず君側の姦を除くべし、予に深謀ありしかりといえども事密ならざれば敗れる、今明言すべからずと、権助、官兵衛拝謝して出でゝ兵士を慰諭す、慶喜公すでに降官納地を承諾し、次いで『必討』すなわち討薩を部下に約し、その後討薩に必要なる会桑二藩の帰国を奏請し、議論の沸騰するや我が藩相田中土佐に『君側を清掃せざるを得ず』と明言し、また我が藩の林、佐川の二将に対し、右のごとく話されたるが公の意のあるところを知るに苦しむなり、思うに公才あれども確固たる信念なく、硬軟二論の間にさまよい、時には硬論に傾き時には軟論に傾く、その変化手をひるがえすがごとし、この上のごとき解すべからざる言動を説明するを得るべし。






卷一 大政奉還  会津戊辰戦史1
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テーマ:歴史関係書籍覚書 - ジャンル:本・雑誌

  1. 2012/11/28(水) 20:16:51|
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