いがぐり史料館

大きな声にかき消されてしまった本当の歴史、真実への探究にご利用ください。主に幕末史に関する史料を掲載していきたいとおもってます。

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薩藩士の暴掠

薩藩士の暴掠

 これより先西郷吉之助、大久保一蔵等密に議して討幕の師を挙げんとす、会々慶喜公の政権返上に遭遇し、討幕の名分機会のなきに苦しみ、百万計画して幕府の憤怒を挑発して事端を生ぜしめ、よりてもって機運の促進を図らんとす、これにおいて薩藩士満休之助介、伊牟田尚平等をして同藩士七八十人を率いて十月中旬本国より江戸に来り、三田の薩邸に投し、無頼の徒五百人を糾合し、夜に乗じ二十人あるいは三十人銃をとり隊伍を結び、隊長を馬にまたがり市中を巡行し、その徒を市中の柵門に配置して厳に柵門を鎖し、その二三丁の間は公衆の往来を禁じていわく、この市中に争乱あり行くべからず、あえて行かんと欲せばよろしく決心する所あるべしと、ゆえに人皆これを避く、その間に乗じ銃を擬し白刃を揮ひて富豪の家に闖入し、財宝を略奪し人民を殺傷す、市中の富豪にしてその害を被る者甚だ多く、その掠奪せられたる金額五十万両に上がれりという、都下騒然たり、暴徒はなお相房総甲武両野の各地に出没して横暴を極む、時に酒井忠篤朝臣、新徴組を率いて都下を戌衛す、薩人の暴行ますます甚だしきに至り、旗本の兵を加えて市中を巡邏警戒せしめ、なお前橋、佐倉、上山、壬生の兵をしてこれを助けしむ、我が留守居柏崎才一周旋して甘利源治を薩邸暴徒の中に入れ偵察せしむ、源治暴徒と共に市中を狼藉す、ゆえに少しもこれを疑う者なかりき、これによって暴徒の多寡およびその情実を知ることを得たり、この時前橋藩士また暴徒に加わる者ありしをもって、松平直克朝臣暴徒に党するの疑惑を受く、ゆえに直克朝臣奮発して幕府に請い、その藩兵をもって暴徒を討伐せんとす、すなわち更にその藩士数人を暴徒の党に入れてその事情を偵察せしむ、この数人暴徒の隊長に言うていわく、前橋侯まさに君らを討伐せんとす、これに反して我が藩士の君らに興味せんと欲する者多し、しかれど直ちに脱走して君らに加わるは勢不可なるものあり、請う我らと共に前橋に赴き、詳に検査して同盟に加へよ、且つざなから討伐せられんよりは、むしろ進んで前橋を討伐するに若かずと、隊長喜びてこれを諾す、甘利源治もまた同伴して八王子に至り、源治謀りて隊長を青樓に誘い、ひそかに娼妓をしてその短銃を盗ましめ、隊長を斬り同盟簿を奪い、源治ただちに帰りてこれを我が藩邸に報告す、これによって暴徒の人員姓名等ますます明暸なるに至れり、よりて庄内藩の警邏一層峻厳を加えたれば、彼らも暴行を逞うするを得ざるを恨みこの月二十三日の夜半暴徒数十人、各々銃をとり三田四丁目同朋町の庄内藩の屯営を襲い、腹背より迫りて一斉に銃撃す、庄内藩兵撃ってこれを刧く、暴徒の退くに当りて同藩兵これを追跡す、皆走りて三田の薩藩邸および佐土原廷に入る、これにおいて酒井忠篤朝臣幕府に請いてこれを勦討せんとす、老中稲葉正邦朝臣これを断ずること能はず、天璋院に禀す、天璋院これを許す、同二十四日夜半を過ぐる頃、庄内兵先鋒となり旗本の騎兵隊、歩兵隊一番より十番に至る、上山、前橋、鯖江、松山の兵力を助け、各隊槍は鞘を徹し銃は弾丸を塡し、隊伍整々進みて薩邸に向かい、部署を定めてこれを囲む。

薩邸表門及び通用門、(二箇所)  庄内兵、(酒井左衛門尉)

新馬場方面、  松山兵、(酒井大学守)

西応寺七曲り方面、   旗本兵、

久留米邸前より赤羽橋辺  庄内兵、

将監橋辺  前橋兵、(松平大和守)、 鯖江兵、(間部下総守)

徳島邸より同朋町  上山兵、(松平山城守)

肥後殿橋より広尾辺  旗本兵、

田町辺  旗本兵、






卷一 大政奉還  会津戊辰戦史1
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テーマ:歴史関係書籍覚書 - ジャンル:本・雑誌

  1. 2012/12/03(月) 08:06:07|
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