いがぐり史料館

大きな声にかき消されてしまった本当の歴史、真実への探究にご利用ください。主に幕末史に関する史料を掲載していきたいとおもってます。

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薩摩邸の焼討

薩摩邸の焼討

 二十五日早天幕府の使番某、庄内藩士十人許薩邸に入る、甘利源治が先導をなす、薩藩士五人出て応接す、庄内藩士安倍藤蔵諭すに二十三日夜同朋町の戍衛の屯営を銃撃したる暴徒を交付すべきを以てす、薩藩士弁疏していわく、その事なしと、応接再三決せず、藤蔵いわく、しからば兵力をもって受くべしと、号令一下表門通用門より旗本兵、庄内兵、闖入し大砲を発してこれを撃つ、これと同時に上山兵もまた徳島邸より大砲を発し墻壁を破りて突入す、鯖江兵もまた共に大小砲を発射す、松平信庸朝臣率先陣頭にありて指揮す、暴徒らもまた叫び声を揚げ大砲小銃を乱射して応戦す、上山、庄内の兵連なりに大砲を発して邸内の家屋を焼く、稲煙天を焦がし咫尺弁せず、暴徒槍刀をとる者百余人、上山の戦隊に向かって突貫し来り迫る、上山の兵迎へ戦うこと最も務む、また暴徒六七十人鯖江戦隊に向かう、同兵もまた良く戦う、上山藩相金子興三郎自ら進みて隊兵を督励す、会々弾丸興三郎の胸を貫く、暴徒らすと南方に向かって逃竄するの意あり、ゆえに上山、鯖江の陣地を侵襲せり、しかして両藩の挟撃に堪えず終に算を乱して潰走す、諸兵らその逃ぐるを尾してこれを追撃す、暴徒進退これ谷まり、田町に至り消防隊の大鼓を取りてこれを打ち、二縦列を作りて進行し、火を市家の処々に放つ、たちまち猛火となり田町、高輪、品川辺りに延焼す、けだし追撃防ぎしなり、旗本兵田町および高輪を抑して一撃を加へず、暴徒をして遁逃せしむ、あるいは品川海に停泊せし薩の汽船に乗りて遁れ、あるいは八王子、小田原辺りに潜伏したりと云う、佐土原邸また同時に旗本兵および諸藩兵これを囲み、応接の後大小砲を発してこれを撃ち、最後に高輪の薩邸を撃つ、諸隊の賊の首級を獲ること二十余級、虜にしたる者二十余人、申の刻を過ぐる頃諸藩兵を収めて吹上の園に至りて帰銃をなし、天璋院に謁す、天璋院菓子を給い且つ慰労褒賞す。
 
{甘利源治は豆州韮山の人、西洋兵式に精しく練兵太鼓を善くするをもって、我が藩士に準じ月俸五口と独禮の班とを興へらる、この役庄内兵に加わり先導して大に功あり、鞍馬陣羽織采配等を鹵獲す、また賊徒の金銀財宝を剽掠して本国に退到したる要書を拾い得たり、さの功を賞し禄十人口を興へ、班を進めて士分に列す、のち幕府の命により上州高崎に至り形勢を偵察す、ついに高崎藩士の為に殺される。}

 二十八日の関東の使節大目付滝川具挙、勘定奉行小野広胖大阪に至り、江戸掠奪薩邸討伐の顛末を報ず、慶喜公これを聞いて薩人の計謀せし所を知り、上は君側を清め下は万民を救わんには、到底尋常の手段をもってすべからざるを察し、この夜将長有司を会し、これに告ぐるに聞知する所ことごとく先帝の叡慮に乖戻し、尊王の志止み難きを以てす、皆奮って上洛して薩賊を掃攘するを可とす、これにおいて大挙上洛せんとしその部署を定めしむ。






卷一 大政奉還  会津戊辰戦史1
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テーマ:歴史関係書籍覚書 - ジャンル:本・雑誌

  1. 2012/12/03(月) 13:32:49|
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