いがぐり史料館

大きな声にかき消されてしまった本当の歴史、真実への探究にご利用ください。主に幕末史に関する史料を掲載していきたいとおもってます。

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部署(この章無題の為、「部署」とした見出しを勝手につけた)

部署

 慶応四戊辰年正月朔日、前将軍徳川慶喜公詔を奉じてまさに入朝せんとし、警備の部署を定む、黒谷には歩兵奉行並佐久間信久を将として、歩兵頭河野佐渡守の歩兵二大隊、歩兵頭並安藤鏐太郎隊砲四門、遊撃頭今堀越前守の遊撃隊百三十人、騎兵三騎、築造兵四十人、会津藩番頭生駒五兵衛隊百三十人、同番頭上田八郎右衛門隊百三十人、同大砲奉行林権助大砲隊百三十二人、砲四門、攻撃の前日出張すべし。
 大佛には陸軍奉行並高力忠長を将として、歩兵奉行並横田伊豆守の歩兵二大隊、および砲二門、騎兵三騎、築造兵四十人、会津藩家老田中土佐隊百三十余人、同番頭堀半右衛門隊百三十人、同大砲奉行白井五郎太夫大砲隊百三十一人、砲三門、攻撃の前日主張すべし。
 二条城には陸軍奉行並大久保忠恕を将として、歩兵奉行並徳山出羽守の歩兵二大隊、砲兵砲四門、騎兵三騎、京都見迴組頭佐々木只三郎の見迴組若干、攻撃の前々日出張すべし。
 伏見には歩兵奉行並城知涯を将として、歩兵頭窪田鎮章の歩兵一大隊、同並大澤顕一郎の歩兵一大隊、歩兵頭並間宮鐵太郎の砲隊砲四門、および新選組副長土方歳三の新選組百五十人、騎兵三騎、築造兵四十人。鳥羽街道には陸軍奉行竹中重固を将として、歩兵頭秋山下総守の歩兵一大隊、歩兵頭並小笠原石見守の傅習歩兵第一大隊、歩兵頭谷土佐守の砲隊砲二門、桑名藩の兵四中隊、砲二門、騎兵三騎、築造兵四十人、浜田藩の兵三十人、攻撃の当日より鳥羽へ出張して東寺に向かうべし。
 淀本営には総督老中格大河内正質朝臣の手兵一小隊、御用取次室賀甲斐守の手兵二小隊大垣藩の兵若干、令を待ちて京都へ繰り込むべし。
 橋本関門には小浜藩の兵、忍藩の兵若干、西ノ宮には撤兵頭並須田雙一の撤兵半大隊、および砲隊砲一門、会津藩兵若干。
 兵庫には会津藩の兵若干、徳島藩の兵若干。
 大阪倉屋敷には撤兵頭天野加賀守の撤兵九小隊、撤兵頭並塙健次郎の撤兵若干、砲兵頭並吉田直次郎の砲隊砲一門、会津藩町田傅八隊若干。
 大阪城の警備城門勤番は、陸軍奉行並大久保教寛の奥詰銃隊八小隊、同戸田勝強の奥詰銃隊八小隊、銃隊頭並杉浦八郎五郎の銃隊四小隊、撤兵頭並三浦新十郎の撤兵四小隊、城外迴り関門十四箇所は歩兵頭並小林端一の歩兵一大隊。
 天王寺真田山には和歌山藩兵。
 諸門には吉田藩の兵は大垣藩の兵と交代してこれを守る。
 城外の巡邏には姫路藩の兵、高梁藩の兵これに当る。
 天保山には松山藩の兵。
 大佛兵粮護衛、鳥羽藩の兵。
 黒谷兵粮護衛、彦根藩の兵。
 大津より三条大橋に至るまで、歩兵頭福王駿河守、歩兵頭並庄勘之介付属一大隊これを警備す。
 右の部署を見るに騎兵の少なきは怪しむべきに似たれども、当時騎兵を騎兵として使用せず、単に斥候または伝令として使用せしがゆえなり、しかしてこの部署の実行せられざりしは勿論なり。
 この日越前藩士中根雪江は岩倉具視朝臣の邸に至りて大阪の形勢を述ぶ、具視朝臣いわく、薩長は兵力をもって幕府に迫らんとす、しかりといえども尾越の周旋を中止するは遺憾なれば三条、東久世と謀り賛成を得たり、幕府もし異議なくんば山内容堂、伊達宗城をして和解を謀らしめ、慶喜その官を辞し機内の地を献じ、あるいは兵隊軍艦の幾分を献ぜばその誠意貫徹し、その他の諸侯もまたこれに準ぜば禁闕の警衛も全かるべし、またいわく、慶喜が政権奉還のごとき実に意表に出づ、その賢明も推してしるべし、余は皇国の為にこの人を周旋すと、雪江は慶永朝臣に報じて共にその順序を議し、具視朝臣の批箋を得これを証として慶喜公に説かんと、その案を草す左のごとし、

一 午刻前上京相成候はゞ直に参内午刻後上着相成候時は翌朝参内致候様可相成哉

一 参内之上表向辞官之手続相濟候上は政府御用途全国割之儀も即日列藩へ御布告に可相成哉

一 参内之即日職掌可被仰付哉

  但

一 上京之節相応之人数引察卒之事

一 参内之節九門外迄是迄之通兵隊引卒之事

一 九門内へ是迄よりは人数多く召連可申事

  尤上下(かみしも)之向にて兵仗は無之


 雪江はこの書を携えて仮議院に至り、具視朝臣に附箋を請う、朝臣いわく、なお衆議に付すべしと、正月二日松平慶永朝臣参内す、幕兵大阪より上がると聞き大に驚き急に帰りて雪江をして戸田忠至を招かしめ、また熊本藩溝口孤雲、津藩藤堂帰雲を招く、伊達宗城朝臣、戸田忠至、溝口孤雲、藤堂帰雲、後藤象二郎等来る、徳川慶勝卿は成瀬正肥を遣わす、忠至いわく、幕吏皆余をもって朝臣に党すとなす、縦令大阪に赴くもその効なからんと、象二郎等相議して孤雲、帰雲はすなわち発し、土州藩相深尾鼎を遣わし、尾州より田中国之輔、中村治之進を遣わすことに決せしも、正肥は辞していわく、二人の力の能する所にあらずと、慶永朝臣は明日容堂、宗城二侯と共に奏請せんことを約して別る。






卷二 伏見鳥羽の戦  会津戊辰戦史1
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テーマ:歴史関係書籍覚書 - ジャンル:本・雑誌

  1. 2012/12/04(火) 10:34:53|
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