いがぐり史料館

大きな声にかき消されてしまった本当の歴史、真実への探究にご利用ください。主に幕末史に関する史料を掲載していきたいとおもってます。

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討薩の表

討薩の表

 慶喜公はこの日より前衛を繰り出し三日入京と定む、しかしてその入朝の趣意は主として君側の姦を除かんと欲するに至り、三日滝川具挙をして上奏の書を携えて上京せしむ、その書にいわく、

臣慶喜謹而去月九日以来の御事体を奉恐察候得者一々朝廷之御真意に無之全く松平修理大夫奸臣共之隠謀より出で候は天下之所共知殊に江戸野州総州其外所々乱防却盗に及候者も同家々来之唱導に依り東西響応し皇国を乱候所業別紙之通りに而天人共に所懀に御座候間全文之奸臣共御引渡御座候様御沙汰被成下度万一御採用不相成候はゞ不得止誅戮を加へ可申此段謹而奉奏聞候

  薩藩奸党之者罪状之事

一 大事件盡衆議と被仰出候処去月九日突然非常之変革を口実と致し奉侮幼帝諸藩之御処置私論を主張之事

一 主上御幼冲之折柄先帝御依托被為在候摂政殿下を廃止止参内候事

一 私意を以て宮堂上を黜陟せしめ候事

一 九門其外御警衛と唱へ他藩之者を先導し兵杖ほ以て宮闕に迫候条不憚朝廷大不敬之事

一 家来共浮浪之徒を語合屋敷へ屯集江戸市中押込強盗致し酒井左衛門尉人数屯所へ発砲乱暴其他野州総州所々焼討却盗に及候證跡分明に有之候事


 この時に当り薩藩は主として鳥羽街道を守り本営を東寺に置き、長藩は主として伏見街道を守り本営を大佛東福寺に置く、時に薩藩士大久保一蔵京都にあり、言へらく慶喜公入朝せば大事去らんと、同藩士西郷吉之助に謀りて朝廷より討伐すべきを勤む、吉之助は具視朝臣を見て、断然策を決せんことを建議し、ついに防御の策を定め、もし危急に迫らば乗輿を山陰道に奉ずるの準備をなせり、吉之助が画するところ左のごとし。

一 御決策相立候はゞ一揆前夜御微行之方可宜哉之事(この条意味不明なり)

一 砲声相発し候節に臨み堂々と鳳輦を被移候方可宜哉之事

一 山陰道に御掛り被為在候て可宜哉之事

一 朝廷に於ては総裁御止相成候方可宜哉之事(意味不明)

一 浪花之戦と相成候へは京地にては依然として御動座無之方可宜哉之事

一 中江(誰か不明)是非御供不相成候ては不相済其外幾人にて可宜哉御供之人数輿丁人夫等之手当も調置候様との事

一 御警衛之人数可相究置との事

一 岩倉公は如何にも跡に御踏止り弾丸矢石を犯し十分戦闘の賦長州藩片野十郎もまた左の策を献ず

一 当所居合の三中隊之御所警衛は御微行相決候上直様供奉之事

一 西ノ宮辺三藩の兵直に有馬より三田通り丹波篠山へ引揚之事

一 東福寺光明寺の兵は平公(人数不明)を将として伏見辺衛殿之事

一 伏見衛殿の我兵引揚候節は一先天龍寺へ集合之事

一 尾之道の兵は備前兵と合し姫路を突く事

一 芸備へ急速出立之事

一 雲州へ急速手下しの事

一 高野の兵速に大和より宇治通り伏見に出張衛殿兵に相応ずべし

一 兵庫停泊の我軍艦速に備海辺へ廻すべし

 
 これ乗輿を擁すれば縦令戦敗るゝも賊名を免れんとする薩藩の策略にして、長藩はこれに和同せしに過ぎず、しかも具視朝臣はなお開戦を不可なりとし、中根雪江をして伏見の形勢を偵察せしめんとして果たさず、参朝して朝命を議定以下に伝ふ。

自昨日至今晩阪兵追々伏見表へ出張其実如何難計候へ共何分不容易形勢に付早々参朝可有之総裁宮御沙汰候事
追て参輿召連早々参朝可有之事


 また慶喜公へ朝命を伝えて上洛を止む。

先達下阪に付尾越両藩へ鎮定之儀被仰付御請申上候処今日大兵伏見表へ押出候趣如何に被思召候都下人心動揺にも可及候間御沙汰有之候迄上京之儀可見合候事

 慶永朝臣はなお鎮撫せんとし、土州、宇和島、尾州等の諸藩および幕府の目付梅沢孫太郎と会してその策を講ぜしも未だ成らず、具視朝臣は吉之助、一蔵の強請を抑止する能はず遂に討伐に決し、命を薩長土芸の四藩に伝ふ。

 尾張前大納言
 松平大蔵大輔
昨日より今日に至り阪兵戎服大砲携伏見表へ出張有之候儀に有之候処兼て両藩言上の趣には都て齟齬不容易進退其儘難被差置は勿論に候へ共当前の周旋筋の儀に候へば不徳止早々引沸候様取計可致不奉命候はゞ朝敵の御処置被為在候御沙汰候事


 尾張前大納言
 松平大蔵大輔 
大政復古に付ては御沙汰の趣も有之去月来出各盡力之次第神妙之至に候然る処今暁來伏見表之事件不容易模様に押移早晩不得止形勢に付此上は多年勤王之旨趣弥勉励禁闕守衛可有之旨被仰出候事
 
追而思召之儀も有之候間若人数不足候はゞ早々国元より繰取候様御沙汰事


 彦根、大洲、平戸、大村、佐土原の五藩に大津駅の警備を命じ、また毛利大膳大夫に宰相父子の内、急に大兵を率いて発し大阪城を討伐すべきを命ず。
 また事機により遷幸あらんことを朝臣非蔵人等に告ぐ。

一 火の用心大切に可致候事

一 大政復古に付ては被廻御遠慮各藩衆庶一点の遺憾なからしめ戮力偏に御国威維持可被遊御趣意にて去月九日來尾州越前等へ懇々御沙汰の段も有之両藩にても出格尽力追々鎮定の道相立追々思召の通に運候段言上も有之候処従昨日今暁に至り阪兵追々伏見表へ出張其実如何難計候へ共不容易進退其儘難被差置次第に候乍去尚又尾州越前両藩へ被仰付候廉も有之此上尽力鎮定可致旨言上候間旁平穏には可哉に候へ共何分前条件々以外の情態不被為止一時叡岳御遷座の思召に候間心得迄に被仰渡候但緩急其期に臨み狼狽無之様兼て覚悟可有之候事

但即今猥不可有動揺候事尚又諸官人の立番所非蔵人取次以下向一同至り□各半は供奉半は此御所可為御留守候に付其番にて可申合置候事


 


卷二 伏見鳥羽の戦  会津戊辰戦史1
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テーマ:歴史関係書籍覚書 - ジャンル:本・雑誌

  1. 2012/12/05(水) 07:40:43|
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