いがぐり史料館

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我が公の退隠

我が公の退隠

 同四日ころより先き我が公、慶喜公に禀して到仕退隠し、家を喜徳公に譲らんと請う、この日これを許す。
 同五日慶喜公は恭順謹慎の書を松平慶永朝臣によりて朝廷に上る。

慶喜相続以来乍不及勤王之道心を盡し罷在候へ共菲才薄徳事々不行届加之近日之事端奉愕宸襟候次第に立至り奉恐入候ニ付謹慎罷在伏而奉仰朝栽候此段御奏聞被成下候様奉願候以上
 二月  慶喜


副啓今般鎮撫使東下之由相聞自然関内江戸市中迄相越候様にては兼々鎮静方は厚申付置候得共人心動揺過激之輩如何様之義可相生哉も難計深く謹慎罷在候旨意を失ひ候様成行候ては深く奉恐悚候間可相成は鎮撫使東下の儀無之様御含之程御頼申候以上
 二月  慶喜
  大蔵大輔殿


 別紙
先般憚朝憲退隠仕相続之儀差極相願候儀は家来共申立其外無據事情有之故相願候得共猶熟考致候へば右様之儀相願候ては深く恐入候儀に付改て別紙之通相願候間可然御周旋之程偏に御頼申候以上
 二月  慶喜
  大蔵大輔殿


 慶永朝臣はただちにこの書を朝廷に示して、鎮撫使の東下を止めんことを請いしも、固より止むることを得ざりき。
 かくて事情いよいよ切迫したれば、我が藩においても、あらかじめこれに備ふる所なかるべからず、二月七日佐川官兵衛を中隊司令官に特選し、また藩兵十八歳より三十五歳まで江戸に留まる者、フランス式撤兵練習を命ぜられ、旗下の兵と共に日々江戸城中において仏人に就いて親しく教授を受く。
 
 大砲隊を改めて砲兵隊と称す、人員左のごとし。
砲兵頭 山川大蔵
同並勤 上田新八郎
指図役 竹本登
同 上田伝治
同 遠山寅次郎
甲子六十八名、寄合組三十六名、足軽若干名


 上田八郎右衛門隊撤兵修行を命ぜられ、江戸に留まる者左のごとし。
隊長 上田八郎右衛門
甲子十五名






卷三 江戸近邦の形勢  会津戊辰戦史1





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テーマ:歴史関係書籍覚書 - ジャンル:本・雑誌

  1. 2012/12/12(水) 12:04:10|
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