いがぐり史料館

大きな声にかき消されてしまった本当の歴史、真実への探究にご利用ください。主に幕末史に関する史料を掲載していきたいとおもってます。

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我が公の登城を禁ず

我が公の登城を禁ず

 二月八日慶喜公より我が公に登城すべきの命あれども病を移して出でず、藩相内藤介右衛門代わって登城す、命ありいわく、藩士は皆国に帰らしめその少数を留めよと、しかもこの夕慶喜公より命じて我が公の登城を禁ず。{朝に登城の命あり夕に登城を禁ず、けだし廟議の変ありしか、なお調査を要す。}
 同九日総裁有栖川宮熾仁親王を東征大総督となし、議定嘉仁親王を海軍総督となし、澤為量卿を奥羽鎮撫総督となし、醍醐忠敬卿を副総督となす。
 同十日伊達慶邦朝臣は手書をもってその家臣に会津征伐の命下りたるを告げ、併せて将来の注意を示す。

徳川家叛逆に付追討被仰出会津は予等一手を以て本城を襲撃すべき由等の御沙汰書別紙之通に候間一統拝見可仕候然るに方今外国の覬覦も有之折柄右様内乱を促し候ては却って皇国の御大事に可相成と深く心痛の事に候間依ては干戈を不被為動理非曲直分明に被相糺公平の御沙汰を以て神州を泰山の安きに被為置候様遂奏聞候存意に付此度大条孫三郎上京申付候乍併如何なる形勢に立至候哉も難計場合に候間何れも軍忠を盡し武命を輝候様厚く相含早々仕度罷在差図次第出陣の心懸可有之猶右に付存慮の旨も候はゞ可申聞候事






卷三 江戸近邦の形勢  会津戊辰戦史1
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テーマ:歴史関係書籍覚書 - ジャンル:本・雑誌

  1. 2012/12/12(水) 14:27:43|
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