いがぐり史料館

大きな声にかき消されてしまった本当の歴史、真実への探究にご利用ください。主に幕末史に関する史料を掲載していきたいとおもってます。

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慶喜公恭順の意を表す

慶喜公恭順の意を表す

 同十一日慶喜公江戸城を出でゝ東叡山寛永寺大慈院に入りて恭順謹慎の意を表せんとし、平岡丹後守をして命を伝えしむ。

別紙之趣布衣以下の面々且御目見以下末々迄不曳様可達旨支配の面々へ可被致通達候事

別紙
東叡山へ御謹慎中西城の義は一橋玄同殿へ御頼被成候旨被仰出候間是迄の通り相勤候様可被致候事


 またいわく、

今度上意の趣御恭順とは乍申御不束の御罪を御一新に被為引受御謹慎可被為在段臣子の分にては実以奉恐入候義に付御趣意柄厚相弁心得違無之様可被致候事

 慶喜公親書を示す。

今度追討使御差向可被遊段被仰出候哉の趣遙に奉承知誠に以て驚入候次第に候右は全く予か一身より生候義にて天怒に触れ候段一言の申上様無之義に付何様の御沙汰有之候共無遺恨奉命致候心得にて別紙之通奏聞状差出候依之東叡山に退き謹慎罷在罪を一身に引受只管朝廷へ御詫申上億万の生霊塗炭の苦を免れ候様致し度と至願此事に候就ては何れも予が意を体認し心得違無之恭順の道不取失様可致し候

 夫々へ奏聞の義御頼書面冩
今度御追討使御差向可被為在哉の趣遙に奉承知誠以驚入奉恐入候次第に御座候段右全臣慶喜一身之不束より生候義にて天怒に触候段一言の申上様も無御座次第に付此上如何様の御沙汰御座候共聊無遺恨奉畏候所存にて東叡山に謹慎罷在候其段下々へも厚く申諭仮令官軍御差向御座候共不敬の義等毫末も不為仕心得に御座候へ共弊国の義は四方の士民輻湊の土地にも御座候得ば多人数中には万一心得違の者も無之共難申右辺より恭順の意を取失ひ不慮の義等有之候節は猶更奉恐入候而既ならず億万の生霊塗炭の苦を蒙候様にては実以不忍次第に付何卒官軍御差向の義暫時御猶予被成下臣慶喜の一身被罪無罪の生民塗炭の苦を免れ候様仕度臣慶喜今日懇願此事に御座候右之趣厚御諒察被成下前文の次第御聞届被為在候様涕泣奉懇願候此段御奏聞被成下候様奉願候以上
  慶喜


 先に慶喜公は時勢を洞察し、政権を皇室に奉還し、天下の公議を尽くし皇基を恢張せんとし、我が公固よりこれを翼賛す、朝廷また慶喜公の上奏を栽し、詔していわく、諸侯を進退するを除くの外自余の事務はよろしく旧によりてこれを掌るべしと、しかるに去年十ニ月九日の変革は諸侯の集議を経ざるのみならず、会桑両藩の禁闕宿衛を罷め、薩長土芸の兵をもってこれに代え、先帝御親任の大官を発黜し、摂関を罷免し、却って先帝譴責の公卿をして朝議に列せしむるに至る、慶喜公が忠君愛国の至誠は朝廷においても優遇あるべきにこれに反す、要するにこれ薩長が同臭一味の公卿と通謀して政権を掌握せんとするには、幼冲なる天子の聡明を壅蔽塞し、飽くまでも慶喜公および会桑を敵視し、一戦を試みんと欲するに由れり、ゆえに我が公は君側の奸邪を掃攘し、慶喜公政権奉還の誠意を明白にして至公至平の政体を確立するは、すなわち天下国家に尽くす所以なりと信じ、しばしばこれを慶喜公に建白せり、しかして伏見の戦は薩の挑戦に応じたるに過ぎずして、決して王政復古に反対したるに在らざるは明白の事実なり、ゆえに内に顧みて少しもやましき事なしといえども。料らずも天怒に触れ譴責を蒙るに逢うては、臣子の情として疾痛して天閽に訴ふるの外なきに至れり、これにおいて我が公は輪王寺宮に就て哀訴す。

不肖容保謹而奉言上候去戍年(文久ニ年)以来在京奉職仕候処蒙無限之天恩冥加至極奉存候然処宗家慶喜以下不束の次第にて天怒に触れ御親政被仰出候段遙に奉伺誠以驚愕之至奉悩宸襟候条重々恐入奉存候京都の義は容保守護職に有之ながら今日の形勢に立至候段畢竟容保上は慶喜を輔翼して不能安宸襟下は頑固疎暴の家臣共を制御不行届の所到に御座候間何卒慶喜儀寛大の思召を以て御取扱被成下度奉懇願候容保義は退隠の上在所へ引退恭順謹慎御沙汰奉待候右之趣宜御執成御奏聞之儀伏而奉懇願候誠恐敬白
 辰二月  容保謹上


 我が藩相田中土佐、神保内蔵助等、尾張侯、肥後侯、高松侯等ニ十ニ諸侯に頼りて歎願書を上る。

寡君容保儀去戍年京都守護職被命候処力を計り分を量りて其任に勝ざらん事を恐れ固辞候へ共其時之御事体皇国の安危に拘候御場合故強て可相勤旨被命候に付先大樹尊王之旨趣遵守奉職仕候処蒙先帝無限之寵眷御賞誉の宸襟を下し賜り其外屢々宸筆及諸品拜戴仕大病之節は辱も至尊の御身を以て於内侍所御祈祷被遊下当朝に至ても先帝以来叡慮遵奉守護職掌相励候譯を以叡慮思召被下参議被推任前後天恩之難有主従感戴罷在候容保之誠実一毫も私意無之候は終始相替候義無御座候伏見戦争の義は徳川前内府上洛先供一同登京之途中被発砲武門之習不得共及応戦候義にて闕下を犯候義等毛頭無之は万人所共知に御座候右に付天怒を蒙り候段に相至り臣子の至情日夜不堪慟哭悲歎候間寸時も早く雲霧快晴一藩の人民安堵仕候様伏て奉懇願候

別紙宸翰之義は先帝御深慮被為在賜り候義に付深く筺底に蔵置候へ共国事危急の場合に付御内々奉入御覧候


 しかるに土佐藩は辞して承けず、他は皆承けて答えず、けだし皆薩長を憚りてならん、この時京師開戦の報に接し西上する所の藩兵江戸に至り東帰の兵と相逢う、すなわち共に国に帰らしむ。
 桑名の若年寄より書を松平定敬朝臣に贈りその菩提寺に入ることを諷す、桑名藩の志士等大にこれを争い、夜に至り密かに封書を定敬朝臣に示す。

大阪以来の御事如何に御無念に在しまし候はんと徴臣共深く奉恐察候京都所司代御奉職以来四ヶ年の久しき間日夜御寝食をも安んぜられず天朝幕府の為に御忠勤を盡させられしこと今更申上る迄も無之事に候日月欲明浮雲蔽之桂菊欲香群臭奪之と申す如く薩州の賊幼冲の主上を擁し朝廷に跋扈するに依て終に朝譴を得させられ候こと実に痛恨骨髄に徹する義にて是を除かざれば清明の天地たらしむること能はず多年御忠勤も水泡と相成るに付大阪出兵の事誠に不得止次第に御座候不幸にして伏見下鳥羽の戦敗れ今日の事体に立至りしこと畢竟徴臣共が戦に勤めざりしが故にて数百年間御恩禄に浴し候申甲斐もなく万死尚其罪を免れざる事と奉存候此上は如何にもして再挙の計を決し御免罪を雪き奉らんこと臣等の本分に候得ば江戸到着以来苦心焦慮偏に藩論を一定せしめんことに尽力罷在候得共如何せん一身の安全を求め臣子の大節を外にする者多き為め俗論正義を壓するの状態如何許りか御残念に在らせられ候はんと奉恐察候徴臣共の一身は既に国家の為に捨たる者に候得ば何程の危難辛苦も物の数とは致し不申候得共弱輩愚昧の身にて藩論を一定せしめんことは何分微力に及び難く今は御威光を奉仰候外無之候間何卒明日御入院の前に御家来一同を召させられ御尊慮の程御達し被下候様伏て奉願上候然るときは徴臣共に於ても御余光に依て藩論を一定せしめ上は御免罪を雪ぎ奉り下は一分の忠義をも立つること相叶ひ可申と奉存候今日の大計を定むるの道此外には有之間敷に付何分にも愚衷の程御採用被下置度候誠惶誠恐頓首百拜

 定敬朝臣すなわち諸臣を書院に引見していわく、東下以来撫恤意のごとくならず、衆の苦辛察するに余りあり、予今夕より深川霊厳寺に入るべし、汝ら自愛努力して報国を謀るべしと、諸臣涕泣せざるはなし、これにおいて定敬朝臣ついに出て霊厳寺に移る。
 二月十ニ日伊達慶邦朝臣は其臣大条孫三郎をして海路上京せしめ、出師追討の猶予を請うの上奏書を上らしむ、しかれども孫三郎京師に入るの日は、すでに征東総督東下の後なりしかば、在京の同藩士三好監物これを拒みていわく、今に及んで捧呈すべきにあらずと、孫三郎もまたこれに同意し、ついに使命を達せざりきと云う、上奏書にいわく、

就徳川慶喜叛逆為追討近日官軍東海東山北陸三道より可被進発之旨被仰出候に付ては奥羽之諸藩宜知尊王之大義相共に合謀可援六師征討之勢旨御沙汰之趣以御書付被仰渡猶又会津容保此度徳川慶喜叛逆に興し錦旗へ発砲大逆無道に付可被遂征討候事に候間臣慶邦一手を以て本城襲撃を速に可奏追討之功旨御沙汰之趣謹て奉畏候若松は東北之一孤城と雖も臣慶邦一手に襲撃被仰付候段は武門之面目にも叶ひ難有奉存候速に藩中へ布告出陣之用意仕官軍御進発之期は速に応援襲撃可仕候然る処弊藩奥海之浜に僻在仕道路遼遠朝廷御決議御深旨も詳細に不奉弁畿内上国之形勢等唯々伝聞而已言上仕候義千万恐悚之至奉存候へ共既に深く言路を被為開候上は存付候次第黙止居候ては臣子の分難盡不顧忌諱左に奉言上候
王政復古朝議御一新之柄一旦天下之兵を被為動関東御征伐被為仕候段は乍恐重大之事件深き叡慮も被為在候上と奉存候へ共天下之人心帰意仕候事に無之候ては難被成就ては先達て慶喜御用被為在参内可仕旨御沙汰に付会桑等を先手と仕り上京仕途中右両藩より官軍へ発砲仕候は叛逆無粉大逆無道之朝敵に付追討将軍を以て御征伐被為在候様御布告相成候処慶喜臣子等に布告之趣にては先手之者関門へ指懸候節俄に薩藩勢より及発砲不得止事戦闘に至候由に有之如何にも倉卒粉擾之間発砲孰れか先孰れか後分明に不相弁風聞も有之臣慶邦御沙汰之趣奉疑慶喜布告之旨を信し候には決て無之候へ共発砲前後判然不相弁より人心一定不仕一条に御座候徳川先祖禍乱を定め揆乱反正之大勲労は今更申上候迄も無之累世偃武修文海内を鎮静仕候事既にニ百年之久敷に及澆季武威漸く不振遂に嘉永癸丑以来外夷陸続粉至人心頽然其間には慶喜処置不得宜失体不当之義も不少有之候へ共今日に至り既に政令帰一公平正大之旨を以て皇国を奉帰候上は又何事を企望仕可奉背朝廷人心之疑惑十に九は可有之人心一定不仕二条に御座候方今王政復古紀綱一新万民刮目見民如赤子民之奉仰朝廷亦如父母一夫不得其所者なきを欽慕之折柄一朝海内之兵を被為動無辜之万民水火塗炭之苦に陷候段可哀可憐之至必ず幼帝之叡慮被為在候義には有之間敷と人心之疑惑十に九は可有之是人心一定不仕三条に御座候慶喜既に退去仕候後て泰然不動愈恭順罷在候由然るに先年毛利大膳大夫家来共於闕下発砲仕候は一時卒爾之誤一旦朝敵之汚名を蒙候へ共其情実明白相顕候上は寛大之御仁恕を以て官位復古入京御免被成下候義慶喜迚も一旦祖先之大功を被為棄徒に発砲前後を以て叛名を被為定候ては諸藩之心服は勿論下々賤民に至る迄感服は仕間敷人心之疑惑十に九は可有之是人心一定不仕四条に御座候抑又外夷御交通之義追々御多端に被為成当今既に十余国にも及び当時一旦天下之大兵を動かし四海鼎沸之勢に至り候へば彼等と雖も必ず坐して傍観不仕如何なる挙動に及ぶも難計然るときは御国辱を宇内万民へ被為流候姿にも相成人心之疑惑而已ならず寒心抱憂痛哭仕候は彼是を以て深く熟慮仕候に朝廷出師追討之義暫く御用捨被為在慶喜等御譴責之義広く諸藩之論定を被為盡天下と共に正大明白無偏無黨之公論に帰候御処置被為在候はゞ必しも不労兵師彼自ら服従可仕候此段窃に奉懇願企望候古語にも輝徳不輝兵を先王之美徳と仕又裴普公之言に処置得宜能服其心と申確言も御座候へば是等之処へ御目的を被為注王政復古曠世之御成業御大成被為在候様仕度臣慶邦徴衷御諒察被成下候様偏に奉懇望候若噪慮御追討と申事にては諸藩之向背も難計海内分裂群雄割拠慶元以前之大乱を醸し却て轉福為禍と申者にて千万非計之得者と臣慶邦邦窃に痛心恐惶仕候不肖之浅見論過抔にて御採用にも相成間敷覚悟仕候へ如是御成運之機会に逢ひ徒に黙止仕候ては却て不忠之筋にも当り可申と不顧越爼謹て奉言上候臣慶邦誠恐頓首謹言






卷三 江戸近邦の形勢  会津戊辰戦史1
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  1. 2012/12/13(木) 10:49:18|
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