いがぐり史料館

大きな声にかき消されてしまった本当の歴史、真実への探究にご利用ください。主に幕末史に関する史料を掲載していきたいとおもってます。

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輪王寺宮の周旋

輪王寺宮の周旋

 これより先き二月十一日大久保一翁、慶喜公の命により輪王寺宮公現法親王に謁していわく、こなた寡君城に在り屏居自ら責む、しかれども天怒いまだ晴れず征使まさに東下せんとす、よりて明日本山に屏居すべし、願わくは法親王自ら京師に赴きて哀訴せられん事をと、これにおいてニ十一日法親王東台を発す、覚王院、龍王院、自證院等従う、ニ十ニ日藤沢に至り自證院をして法親王の手簡を勅使に到さしむ、ニ十五日小田原に達す、三月三日大総督府の報を伝えていわく、大総督宮法親王を駿府城に待つ、請う速やかに駕を進めよと、これより先き目付平岡庄七、慶喜公、我が公の為に罪を謝するの書を携え来りて法親王に示す、四日小田原を発し三島駅に宿す、六日駿府に達す、橋本左中将その館を避けてこれを奉す、七日法親王駿府城に入り大総督宮熾仁親王と見る、橋本、柳原、正親町、西四辻の人々席を隔てゝ侍す、橋本、柳原両卿は東海道の征使、正親町、西四辻両卿は大総督府の参謀たり、法親王、慶喜公の謝罪書を大総督宮に示して申救具に至る、大総督宮いわく、余すでに聖旨を奉じてこれに在り、これを熟議して答へん、法親王よろしく東帰して慶喜に報ずべしと、これにおいて覚王院、龍王院、正親町、西四辻ニ卿に謁せんことを請う、薩藩士西郷吉之助、宇和島藩士林玖十郎二人を見ていわく、ニ□我らをして代わらしむと、覚王院すなわち六十余侯哀訴の書および慶喜公、我が公の為に罪を謝するの書を示し、また法親王の旨を申述す、十ニ日法親王また駿府城に入り大総督宮を見る、正親町、西四辻ニ卿侍す、大総督宮、慶喜公の謝罪書を見ていわく、慶喜のこの書虚飾すこぶる多し、また徒に謝罪を語るも未だ実効あらず、苟も実効あらば必ず寛典もって処せん、家系城地憂うる所にあらずと、すなわちこれを返す、玖十郎、覚王院、自證院を見てまた六十余侯哀訴の書、および慶喜公、我が公の為に罪を謝するの書を返す、覚王院その詳細を問う、玖十郎いわく、そもそも朝敵の譴至厳なり、古入鹿、将門等のごとき知るべきなり、近日毛利敬親のごときもまたしかり、しかして今至誠天を貫く、すでにこれを許す、ただし徳川氏の処するところ恐らくは未だ至当ならず、かつ慶喜公自ら兵を率いて禁闕に迫る、何ぞ咎を前駆に帰すべけんや、覚王院いわく、上表すでに君側の奸を除くという、何ぞ朝敵といわんや、かつ慶喜屏居して自ら責め、訴てまさに朝裁を奉ぜんとす、今臣子罪を君父に得るあり、訴ていわく、君や父や死生は唯命のままなりと、豈これを外してまた罪を謝するの道あらんや、玖十郎答えず、また実効を問う、いわく罪を軍門に謝し江戸城および軍器戦艦を献ぜよ、このごとくならばその死を生じその絶を継かん、いわく法親王密かに憂いていわく、日をもって程を計れば天兵今応に江戸に入るべし、入らばすなわち諸臣紛擾してあるいは事端を生ぜん、あえて問う、これをなすこと如何と、玖十郎答えていわく、天兵本叛を討す、服すればこれを措く、慶喜すでに恭順す、すなわち南川崎、北戸田、西八王子を限り次してもって罪を問わん、またいわく旗下の士に正論を待するもの大久保一翁等数人ありと聞く、いやしくも一ニ輩をして来らしめば何ぞ法親王の駕をわずらわさんと、この日法親王小田原における薩藩士の暴行を大総督宮および橋本、柳原ニ卿に語る、大総督宮赧然としていわく、あえて不恭を謝すと、即日命じてこれを戒むと云う、十三日覚王院駿府を発し、十六日午の刻を過ぐる頃西域に達し、若年寄平岡丹波守、同浅野美作守、御側服部筑前守、川勝備後守、大久保一翁等を見て詳にこれを告ぐ、我が藩河原善左衛門、覚王院を帰徒に候す、覚王院駿府の事情を略説す、善左衛門大息して涙下る、覚王院慰諭していわく、法親王いわく宗家事成りて、しかして後これに続かん、駿府の哀訴宗家いまだ成らず、ゆえに未だこれを呈するにおよばずして帰る、しかりといえども本立ては末自ら全うし、今まさに本立たんとす、何ぞ深く憂うるをなさんと、薄暮覚王院慶喜公に大慈院に謁していわく、細川侯家臣を馳せ春嶽の書を致し、静寛院宮の女使を慰め法親王の哀訴を諭す、皆これ手に唾せずして城地を挙くるの策謀なり、公なお悟らずんばまさに実効斯に立て社禝亡びんとす、慶喜公いわく、しからばこれをなすこと如何と、いわく内兵力を充実し外恭順を尽くすに在りと、この日(ニ十一日)法親王東台に帰る、しかも三月ニ十一日天皇大阪に行幸ありて大に親征の師を起こさんとし給う、前途いまだ測るべからず。
 三月ニ十ニ日我が藩士佐川又三郎、石黒恒松旧幕兵の為に過り襲われ両名共に傷つき又三郎ついに歿す。






卷三 江戸近邦の形勢  会津戊辰戦史1
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テーマ:歴史関係書籍覚書 - ジャンル:本・雑誌

  1. 2012/12/15(土) 10:40:43|
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