いがぐり史料館

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我が公榎本武揚に越後西軍の背後を衝かんことを勧む

我が公榎本武揚に越後西軍の背後を衝かんことを勧む

 七月に至り仙台藩横尾東作、我が藩雑賀孫六郎、米沢藩佐藤市之允等榎本武揚が率いる軍艦に来り、我が公の書を携えて高田にある西軍の背後を衝かんことを説く、武揚左の復書を贈る。

謹而奉拝股御直書一通慥に雑賀故り落手拝読仕候然ば弊藩海軍一同之者不倶戴天の賊徒を誅伐可仕は勿論之素志にて且奥羽越御列藩義兵の盛挙乍微力一旦も早く御助力仕度存候へ共主家成行之段見届而後ならでは臣子の職掌如何と決心仕居候処前月既に封邑も相定候より直に移封之手立に取掛り弥当月中には寡君亀之助始隨従之家来共駿府表迄軍艦或運送船にて護送致し終り此一段遅くも来月二十日頃迄には野拙自身諸船を引率して仙台迄罷越同所にて奥羽の防禦遂撃之相談仕夫より所々へ相迫り可申候間左様御承知可被下候尚書外委細之儀雑賀子拝謁之上可奉申上野拙拝謁之期在近伏て願三公閣下臨時御保護可被遊候謹言
 七月ニ十一日  榎本釜次郎
松平祏堂様(祏堂は我が公退隠後の雅号なり)
徳山四郎左衛門(板倉伊賀守)
山中寛助様(小笠原壱岐守)


 榎本氏は海軍の技術にこそ長じたるならんも、天下の大勢を見るに迂愚もまた甚し、東軍の越後方面に於いて苦しみしは、西軍の海軍の助けありし一事なり、ごとし榎本氏にして大勢を見るの明ありにならんには、我が公の請を請け入れ率いる所の軍艦ニ三を割き、越後に遣わし、西軍の海軍を破砕したらんには、新潟陥らざるべく新発田の反覆もまたなかりしならん、この大切なる時期於いて戦の勝敗に関係なき主家の成行を見届くるを名として、悠々として品川に碇泊せしその心理情態実に知るべからず、奥羽連合存在してこそ榎本艦隊も重きをなすなれ、越後の戦敗れ会津も陥り従て連合も瓦解せんには、その艦隊何をか為し得べきか、しかるに時機に臨んで連合軍を援助せず、奥羽鎮定の後に至り始めて蝦夷地を経略せしは愚の至りと云うべし。






卷三 江戸近邦の形勢  会津戊辰戦史1
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テーマ:歴史関係書籍覚書 - ジャンル:本・雑誌

  1. 2012/12/17(月) 11:31:19|
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